主に18世紀以前に建造され、歴史的文化的にも重要視されている歴史的建造物。日本最北端の宗谷岬が有名な北海道の稚内・留萌エリアの歴史的建造物を人気ランキングで紹介します。
北海道/稚内・留萌
歴史的建造物
4.10
設計者は北海道大学を卒業して3年目、北海道庁の技師として稚内築港事務所に赴任してきた当時26歳であった土谷実氏です。北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われていたとき、ここに通じる道路や鉄道へ波の飛沫がかかるのを防ぐ目的で、昭和6年から昭和11年にかけ建設された防波堤です。樺太へと渡る人々で賑った頃のシンボルでもあり、古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊は、世界でも類のない建築物として内外の注目をあびています。 半世紀を経て老朽化が著しかったため、昭和53年から3年間、全面的に
北海道/稚内・留萌
歴史的建造物
4.00
帝政ロシアとの国交が悪化し始めた明治35年に、国境の備えとして旧帝国海軍が建設したもので、当時最強といわれたロシアのバルチック艦隊が、宗谷海峡、津軽海峡、東シナ海のどこかを通過し、ウラジオストクに集結するかを察知することは、戦略上極めて重大であったことから、同望楼の海上監視にも、任務の重要性が課せられました 日露戦争の終結に伴い望楼の使命は終わりましたが、その後も、大正9年沿海州で起きた尼港事件(※)では無線通信基地として、太平洋戦争では対潜水艦監視基地として使用されました 稚内では明治年代の建築物で現存
北海道/稚内・留萌
歴史的建造物
3.60
昭和20~40年代。稚内のまちは、底曳船漁の前線基地として国内各地から人が集まり、活気にあふれていました。そのさなかの昭和27年。稚内が町から市へと発展をとげた年、「旧瀬戸邸」は瀬戸常蔵という底曳きの親方の邸宅として建てられました。日本最北のまちに残る、戦後まもない昭和の建物を保存するとともに、稚内の漁業の歴史を伝えていきます。また、この旧瀬戸邸は国の登録有形文化財に「旧瀬戸家住宅主屋」として平成25年6月21日に登録されています。
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